Posted by motoki
最近は活動がほぼ停止状態のヨコノリズム。
なぜなら今試験期間真っ最中だから。。。
この時期はどんな学生もみんな教科書開いて膨大な知識をアタマの中に詰め込みます。
でも…
勉強、勉強は間違いなく重要やけど勉強だけでもダメよね。
遊び、遊びも間違いなく重要やけど遊びだけでもダメよね。
…
獣医学部の学生が多い、ヨコノリクルー。
みんなは自分の何か一つ、自信持てるものって持ってますか?
自信家のボクはいくつも自信を持ってますが、その中の一つが豚です。ちょうど今日、一年前に掲げた自分の目標を達成し、新しい自信になりました…。
その名も『豚眼1000』。
卒業前に、1000個の豚眼を使って眼科オペ技術を体得しよう、という試みでした。
今思い出せばちょうど去年の八月… 卒業前までに何か、卒業後に必要となる外科テクニックを身につけてやりたい…と思ってはじめたこのプラン。
1日につき約2時間かけて豚の眼玉2-3個を使って眼科手術の練習をします。これを1年間、ほぼ休みなくどんな日も続けてきました。
僕ら獣医学部の学生は、どの授業でも教科書を開いてとにかく丸暗記を要求されます。6年間という長い学生生活の中で、学生はひたすら教科書と向き合い、その知識が大事かどうかわからなくてもとにかく頭に詰め込みます。詰め込みができないとダメな学生とされ、再試験をしたり、最悪の場合は留年することになります。
お金もだいぶかかってることだし、留年はしたくないしみんな必死で教科書眺めます。
この日本の古臭い教育システムが巧を奏してか、卒業後の新卒獣医師は臨床(現場)に出ても、「現場を全く知らない」ので右も左もわからない超ビギナーです。サーフィンで例えるなら、「テイクオフを語らせると細かな説明ができるけど、俺はテイクオフはしたことないぜ」という不思議な状態というところでしょう。
そうすると、高額な授業料を支払って購入したのは『獣医師の資格』ということで、技術ではありません。つまり「獣医の資格があるから良い獣医さん」には到底なれないということをはっきりと意識することが必要かもしれません。
要するに良くあるためには自己犠牲的な努力が必要になってくると思います。ボクは使えない獣医師という形で卒業するのが嫌だったので、自分で「外科」を極めてみようと考えました。せっかく近くに牛や豚をト殺するところがあるしね(臓器が安く買えます)。
豚眼1000を進めているうちに、外科のテクニックはアートに近いのかもしれないと思いました。外科技術を芸術に例えるならば、キャンバスは動物の体、ということになり、この意見は非難されるかもしれませんがやはりそう思いました。
例えばお金を払って“プロの画家”に自分の絵を描いてもらいよう頼むとしたら… 。 まぁ、上手にこしたことはないですよね。どんなに気持ちが入っていても金が発生してる以上、ヘタな人にはされたくないですよね。プロの芸術家はコンパスなしで綺麗な丸や、定規なしで正方形を描けるらしいです。
つまり外科に触れる獣医師も本来なら技術のことについても忘れずに努力する必要はありそうです。目指すところはやはり芸術的な技術、言い方を変えて言えば、鍛錬に鍛錬を重ねた外科、ということになりますよね。
『有茎結膜フラップ』
『結角膜転移術』
きちんとした手術道具はないので間に合わせの道具でやりました。ダイソー道具など利用。
今は試験でかなりヒーヒーいって大変だと思いますが、5年生以下のヨコノリクルーたち、獣医学部の学生は卒業後、何か一つでもいいから自信持てる何かを持ちましょう。
それでは残りの試験科目を頑張ってくれぃ!!
GOOD LUCK!!
2 件のコメント:
う~ん、きれいすぎる!!そして凄すぎる。
いつも、なんで出来るんやろうと思っていましたが、その裏には莫大な努力の積み重ねがあるのを感じ正直自分自身の努力の小ささに恥ずかしさを感じます。
今の僕には違った意味で励ましの言葉でした。
というのも勉強がすべてではないという風に僕は捉えたからです!
しかしそういうことではないのでしょう。勉強は勿論 プラスアルファーで習得していくことが重要なのだということなのでしょう。(元木さんの日頃の行いを見ればわかりますが・・僕も見習わなければ!)
確かに卒業前になんらかしら身につけることは重要だと思います。
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